cognuts’s blog

一个日本人自己做正宗中国菜的博客。在餐厅一定要点炒饭和锅贴的人不要看。

佛跳墙

我が家ではもはや正月恒例になった観のあるこの料理。

最近中華圏を旅行しておらず、乾物類のストックが枯渇してろくなものが入っていないのだが、フカヒレとナマコだけは入れているので、「佛跳墙」と名乗ることをギリギリ許されるのではないかと思っている。

「美味しい食材を全部入れて煮込んだらきっとメチャクチャ美味くなる」という食いしん坊の思い付きをそのまま具現化したようなこの料理。単純な発想だけに同じことを考える奴がどこの国にもいるらしく、辻静雄先生のご著書によればフランスの「ドダン・ブーファンの生涯と情熱」という小説に「佛跳墙」と同じく”全部入り”スープの話があり、それをアレクサンドル・デュメーヌという料理人が本当に作ってしまったのだとか。これぞ、知る人ぞ知る"ドダン・ブーファンのポトフ"!  これなど、さしずめ西洋版「佛跳墙」と言ってよいだろう。ただ、フランスでは小説版が”全部入り”だったのに対し、実際にデュメーヌが作ったものは牛やら鶏やらのスープを別々に出すフルコースだったそうな。恐らくフランス人は色んな物が一つの器にごちゃごちゃ入っているよりも、純粋に素材単体の味を楽しみたい人々なのだろう。あと今書いたことと結局同じことかもしれないが、東西で大きく異なる点が一つある。それは、「佛跳墙」が鮑やら帆立やら魚介のエキスが濃厚であるのに対し、フランスの方が使う食材があくまでも牛、豚などの家畜類である点。なぜそこに魚が使われていないのか? 遊牧民であった満州族には海のものと陸のものを同時に食べてはいけない禁忌があったというが、フランスに同じようなタブーがあるとは聞いたことがない。恐らく彼らにとって美食の主役はあくまでも家畜の肉でありーもちろんフランス料理のメニューにも美味しい魚料理があるにはあるがー、そこに魚の味をプラスするという発想がそもそもなかったというのが大方の理由だろう。日本で”魚介ダブルスープ”を売りにするラーメンがあるが、魚介と肉の旨味があわさった味を美味しいと感じるのは、もしかするとアジアの中でも国土に海岸線を有する民族だけの特色なのかもしれない。

あと、前菜として孔雀を象った大皿料理を作った(こういう生き物を象った前菜を中国では「像生」と言うのだそう。)去年もこの手の料理を作ったが、

 

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並んでいる一つ一つは「蛋糕」と呼ばれる単なる卵の蒸し物で決して食べて美味しいものではなかったので、今回は実際に食べられるようにと色々内容を変えてある。具体的には、画面上方エビの上に並んでいるのは”如意捲”という薄焼き卵に鶏のすり身を塗り蒸したもの。孔雀の首の廻りは、ウズラのピータンの肉巻き、叉焼、あとテリーヌ・ド・カンパーニュをアレンジしたもの等等(羽の部分は色鮮やかにする必要があるので相変わらず「蛋糕」)ただ、皿とパーツの大きさのバランスが悪く、最終的に適当な並べ方になってしまった(肝心の首の造形など超テキトー。)おかげであんまり孔雀に見えず公開するのを憚られたが、来年同じようなものを作る時の参考になればと、敢えて掲載することにした。

新年快乐!

このblogも三年目を迎えた。

無能な政府の愚劣な経済政策が物価高を招き、おかげで作りたいものが思うように作れず正直不満なのだが、可能な限り継続していきたいと思う。

”可愛い”ではなく”美しい”料理を、”お洒落”ではなく”豪気”な料理を作る。

 

客家菜

わざわざ説明するまでもないと思うが「客家」というのは、戦乱その他を逃れ中原から南方の地に移住した人々。移住は段階的に行われたようだが、最も早いのは紀元前秦の時代だと言う。かくも長き間彼らがあくまで独自性を保ち、土着の人々と同化しなかったという事実に驚く。それは、南方の人々と習俗が大きく違っていたというのもあるが、彼らが自分たちの民族の出自に誇りを抱き孤高を守っていたことも大きいだろう。ただ、よそ者の悲しさゆえに貧しくやせた土地にしか住めず、必然的に重労働に携わることを余儀なくされた。彼らの料理に味の濃いスタミナ食が多いのは、過酷な労働による疲れを癒すため。今回紹介した二品も、そうした「客家料理」の代表例。それらを味わい、中原の民の苦闘の歴史に思いを馳せるのもよいかもしれない。

「梅菜扣肉」「梅菜」と呼ばれるカラシナの漬物と一緒に豚バラ肉を蒸したもの。ちょっと老抽を入れ過ぎて色が悪くなってしまった。でも味は自分でも納得。ゼラチン状になった豚皮が美味。皮の処理に一手間加えたのがよかった。普通に蒸すより遥かに柔らかくなった。手を加えないのがよいのではない。手間暇かけてこそ素材のよさを引き出すのだ。

「塩焗鶏(イムゴッカイ)」鶏の塩釜蒸し。蓮の葉に包んで蒸し焼きにしたのだが、下処理をしたはずが蓮の葉の苦みが出てしまった。直接塩で覆った方がよかったかもしれない。

 

最初はワインをちびちび飲みながら食べようと思っていたのだが、どうもワインと合わない。恐らく元が労働者のスタミナ食、或はごく普通の家庭料理なので、お上品にやるものではないのだろう。そこで趣向を変えてみた。

ご飯ののっけ盛り。普段から一番馬鹿にしている食べ方だが、今回ばかりは仕方ない。この豚の味がしみ込んだ梅菜が米によく合うのだ。ワインに合う肉料理はいずれまた紹介するとしよう。それではちょっと失礼をして…。(ガツガツと、直接茶碗からかっ込んで飯と肉を貪り食う。客家の歴史のことなど最早完全に忘れている。)

素包子

健康診断を間近に控えているので、夜は精進料理。野菜まん。

包み方があんまり綺麗じゃないな。もっと修行しないと。二次発酵は十分に留める。あんまり発酵させ過ぎると、ふかふかを通り越してフワフワになってしまうから。

できるだけぎっしり詰めたつもり。特に野菜まんは、餡が詰まってパンパンになったくらいが美味しい。

餡の内わけは、韮、青梗菜、ホウレン草、筍が3:2:2:1の割合。以前作ったとき野菜の配分が難しいと書いたが、今の所これがベスト。やはり、韮が入ると味がしっかりする。精進ものでも「食べたぞ」という満足感があるのだ。ただ、女房が言うには食べた後の匂いが気になるとのこと。韮は臭いには臭いが、ある種の清々しさがある、気にすることはないと思うのだが…。ただ、後から臭いが来るのは確かなので、やはり韮の割合を減らすべきか。替わりは何だろう、豆苗か小松菜か。野菜まんだと卵や春雨を入れる場合が多いが、私はそれは嫌いなので野菜のヴァリエーションを増やすことで対応したい。

一応腹を満たしたので、後は寝床に入って読書。選んだのはこれ。

フランス語の勉強をかねてこの中の「女の一生」を読む。読み始めたばかりで、まだジャンヌがコルシカ島に新婚旅行に行った辺りなのだが、この時点でもう男の鈍感さと身勝手さに傷つけられる女の哀れさがひしひしと伝わってくる。(あんまり可哀想に書けているので身につまされるが。)

青木雄二が「大抵の作家はドストエフスキー以下なんだからドストエフスキーを読めば十分」みたいなことを言ってたが、私も同じ考え。現代の海のものとも山のものともつかぬ作家の本を読むのは時間の無駄。(芸人やタレントの書いたクソ小説など問題外。あんなもん金出して読むなんてどこのバカだよ。)そんな暇があるなら古典を読む。小説だったら、モーパッサンとかゾラとか十九世紀の作家の作品。トマス・ハーディを除けば、面白さと内容の深さでフランス文学に匹敵するものはちょっとないのだ。特にゾラは、バルザックとならんで最も敬愛する作家。「居酒屋」や「ジェルミナール」のような社会問題に取り組んだ作品も素晴らしいが、私のお気に入りは日常生活を切り取ったような小品。中でも「愛の一ページ」は人間の機微を捉えると同時にフランスらしい瀟洒な味わいを併せ持った傑作。技巧的にも最高の小説だろう。

 

2023 12/28 追記

昨日「女の一生」読了。

学生時代に一度読んでいるのだが、随分印象が違う。途中から狂信的なカトリックの神父が出てくるが、当時宗教に興味がなかったのか、全く記憶にない。ラストの主人公の有名な台詞も、諦念の末の自分を納得させるための言葉、くらいに考えていたのだが全然違っていた。

中盤以降の畳みかけるような不幸の連鎖も面白いが、現代の日本人がもっとも興味深く読めるのは、ジャンヌの夫ジュリアンの存在だろう。当時十九世紀のフランス文学には数多くのダメ男が登場するが、こいつはダメ男というより男のいや~な部分を体現したような人物。無神経で自己中心的、ケチでしかも「俺は賢いから金の使い方を知っている」と自分がケチなのを自慢する、おまけにスケベ。無神経で気が利かないから相手を慰める気の利いた台詞一つ言えない。男性中心の社会でわがままに育った日本人男性の多くが身につまされることだろう(私がその例外とは言わない。)人間、男と女の二種類しかいないのに、こんなロクデナシどもと鼻を突き合わせて暮らすご婦人の苦労が思いやられた。

個人的に好きなのは、前半部分の様々な描写。修道院から戻ったばかりの主人公が見る故郷の風景、人生の淡い夢、そして新婚旅行で訪れたコルシカ島鄙びた風景。何気ない表現の一つ一つが美しく、それらの思い出が皆無惨に踏みにじられる主人公の将来を思うと胸が締め付けられる。こういう描写が外国文学は本当に上手い。さりげないのにどれも意味がある。単なる雰囲気づくりの”写生”に終わっていないのだ。

よし、これで大分弾みがついた。次はバルザックの「暗黒事件」だ!

 

檸檬鶏

二品目はレモンチキン。

酢も砂糖も使っていない。レモン果汁と蜂蜜で、爽やかな酸味と甘みが出せたように思う。

この料理は日本でも出す店がそこそこあるが、私にとっては香港の”益新美食館”の名物料理。

”益新美食館”というのは、ヨンゲイと並ぶ伝統的な広東料理を出す老舗中の老舗。一度廃業したのだが、店をこよなく愛する従業員が権利を買い取って、再開にこぎつけたのだとか。最近賃貸契約でもめて閉店になりかけた蓮香楼といい、香港でこの手の美談を耳にすることが時折ある。(逆に後継争いの内紛劇で味が落ちたり分裂したりするヨンゲイや福臨門の例もあるが。)現在は創業の地跑馬地を離れ湾仔で営業中。ウッディなフローリングがちょっとビストロみたいなお洒落なインテリアなので、女性を連れて行くと喜ばれるかもしれない。

私は十年ほど前一度行ったことがあるのだが、その時POLLYというフロアマネージャーに大変歓待してもらった覚えがある。一人で行った私が寂しくないよう「料理は気に入ったか」「もうちょっと静かな席の方がよくないか」「お前が食べてるそれはこの店の看板メニューだぞ」等忙しい中何くれと無く声をかけてくれ、帰る時は「今日はよく来てくれた」とギュッと握手までしてくれた。私のような一見の客にこんな老舗のマネージャーがここまで気を使ってくれるのかと、感激で胸が熱くなったことを思い出す。これが、香港のレストランのいい所である。老舗やかなりの高級店でも、わざわざ訪ねて行ってあんたの所の味が好きなんだと熱意を示せば、ちゃんとそれを受け止めてくれるのである。反対に、そういうハートフルな姿勢が全くないのが、日本の中華屋である。料理について一つ二つ尋ねただけで怪訝な顔をする。果ては相手が香港好きだと知ると「お前は何回香港に行ったことがあるのか?」とこちらの懐事情に探りを入れてくる始末である。なんという品性下劣な奴らだろう。客をただお金を落として行ってくれる財布としか見ていないから、こんな最低の反応を返してよこすのだ。相手が食い物好きなら、商売抜きで客と心を通わせるという精神がこれっぽちもない。それが食い物を生業とする人間の心意気というものではないか。私が日本の中華レストランに行かないのは、どうせろくな食い物が出て来ないというのもあるが、こういう連中のさもしい料簡が嫌いというのも大きな理由である。

三品目は、蝦と豚のすり身を乗せた豆腐の蒸し物。これも”益新”の名物料理。

 

 

鱼翅羹

女房の誕生祝いにささやかな晩餐を用意した。

一品目はふかひれスープ。

フカヒレいっても翅片と呼ばれる最低ランクの種類。フカヒレと聞いて誰もが思い出すあの春雨のような透明な繊維は殆どなく、大部分は軟骨のついた膠質。ただ、食通の中にはここが好きという人も少なくないとか。たしかに、出汁をたっぷり含んだゼラチン質をズルズル啜る(ちょっとたとえが汚いが)のは、これはこれでまた別の美味さがある。

戻す前の状態。

水饺子

一月ほど仕事で忙しかった後、インフルエンザにかかってしまった。食欲もないので、何かあっさりしたものをと思い、これを作ることに。

強力粉を使うのか、それとも薄力粉だけで作るのか。強力粉を使うとすれば、水で練るのか、はたまた熱湯を注ぐのか。単純な料理のようで、実は奥が深い。今回は弾性を出すように強力粉と薄力粉を1:1で作ったが、私のようにつるんとした喉越しが好みの人は強力粉はあまり使わない方がいいのかもしれない。

腹がくちくなったので、ビデオ鑑賞。選んだのはこれ。

アマゾンで注文したのがやっと到着。4Kリマスターの画質を確認するだけのつもりがついつい全部見てしまった。

脚本が見事。全体の構成は勿論、場面転換の対比が実に巧妙に計算されている。静と動、明と暗。おかげで三時間の長丁場なのに実にテンポよく話が運ぶ。小国英雄橋本忍も参加していないようだが、黒澤一人でもこれだけのものがスラスラ書けるのだ。彼が偉大な監督であると同時に傑出したシナリオライターであることが、これを見ればよくわかる。

あと、いつも思うのがこの映画の配役の妙。山県昌景役の大滝秀治武田勝頼役の萩原健一は当て書きのようだが、いかにも馬の合わなさそうな室田日出男清水紘治を起用したのはなぜだろう。NHKのドキュメンタリーを見ると黒澤が始終彼らにガミガミ言っていたような印象を受けるが、本当は彼らの確かな演技力を頼りにしていたのではないのか。そうでなければ清水紘治にあんな長台詞を言わせるわけがない。

この映画は、黒澤の手の内にそう簡単には乗らないような役者を敢えて起用したのも成功の一因のように思われる。「乱」の鉄修理は当初高倉健を予定したというのは有名な話だが、楓の方も実は梶芽衣子を想定していたと最近知った。この頃の黒澤は敢えて異分子のような別の”血”を自作に取り込もうとする貪欲さがあったのだ。まあそれを言うなら、そもそも勝新を主役に抜擢すること自体が無謀とも言えるほどのチャレンジングな試みなのだが。

撮影は勿論、桃山の辻が花の遺品を模した衣装も抜群。(大〇ドラマや落ち目の芸人が最近作った映画の衣装の超ダサいこと!)実体と影、カリスマなき後の集団の維持、そして滅びの美学、内包されたテーマも非常に奥深い。全盛期の作品に勝るとも劣らない傑作だと思う。

一周年

ブログを始めてほぼ一年が過ぎた。

元々中国料理は好きでよく作ってはいたのだが、毎日のおかずがもっぱらで、あれもこれもという訳ではなかった。

本格的に作ろうと思い立ったのは、もちろん雨傘革命やパンデミックの影響で香港や中国本土に行けなくなったせいなのだが、国内の中国料理に対する反発も大きい。

看板に”広東料理”や”上海料理”などと銘打っているくせに、まともな広東料理上海料理も何一つ出て来やしない。"イカの天ぷら"に"ミンチのレタス包み"って…。ショボすぎるだろ。そりゃ不味くはないかもしれん。しかし、大して美味くもない。香港や上海なら安食堂でももっとまともなものを出すような気がする。だが、”イカの天ぷら”も”レタス包み”も一応中華っぽいのでまだましな方か。ひどいのは、”創作(ふざけるな!)中華”と称するやつである。”魚のフライ”に”刺身”?これのどこが中華だ!?うちの女房は割烹の料理だねと言っていた。こんなものをまともな中国人の料理人なら絶対に作らない。なぜすぐ邪道に走ろうとする?なぜ伝統の定番料理を作らない?「日本人の口に合わないから」?そのセリフ耳にタコができる程聞いた。だが、”口に合わない”を口実にして本場の味をわかってもらうための努力を放棄してないか。まあ、"ニセモノ"を有難がって"本物"を求めようとしない日本人の客にも問題があるのかもしれないが。

海一つ隔てただけのお隣の国同士で食い物一つまともに伝わらないとは、考えて見れば不思議な事である。それだけ両国の食の大系に隔絶したものがあるということか。日本人の食の好みも時代に応じて変化し、そうすればもう少しまともな中国料理が食べれるのではないかと淡い期待を抱いていたのだが、いまだに餃子や焼売をおかずに(どうしてこんなものがおかずになるんだ?)米の飯を食っているところを見ると、当分現状に変化はなさそうである。個人で本場の中国料理を再現などというのは、もしかすると天に唾する所業かもしれないが、誰も作ってくれないのだから仕方ない。これからもせいぜい「日本人の口に合わない中国料理」を一人作っていこうと思う。

港式早茶

朝各種の点心をつまみながら茶を喫すのは中国人のよき習慣。

今回は”蓮香楼”が出すような庶民的な点心をあれこれ作ってみた。

全五品は自分的には新記録。春巻きやハムスイコーのような揚げ物があればなおよかったが、これで限界。何しろ前日の下ごしらえに五時間、翌朝四時に起きて実際の調理に三時間、手際の悪さもあるが計八時間も費やしているのだ。私の辞書に”時短”などという腑抜けた言葉は存在しない。

①干蒸焼売

エビ焼売。日本では卵で伸ばした黄色い皮が売ってないので自作。上に載っているのは蟹の子ーなのだが、これも日本では売っていないので、卵の黄身に着色してモドキを作ってみた。(全体写真のやつは色を付けすぎて紅ショウガみたいになったんでこれは作り直し)包んだ時はシャんとしているのに、蒸すとあっち向いたりこっち向いたりするのが不思議。どうやら焼売というやつは作った者の人格まで表わしてしまうものらしい。

②蝦餃

エビ蒸し餃子。裏の部分の皮が破れそこから肉汁が出るのが以前からの悩み。皮が破れるのは右手の親指の動かし過ぎが原因ということを知って、包む時そこに注意したら大分改善した。港式点心の主役的存在だから、これが不味かったら話にならない。これからも可能な限り味の改良に努めたい。”日曜点心師”の修行の道は険しい。

③糯米鶏

蓮の葉で包んだおこわ。レシピ通り、蒸した米と別に調理した具材を重ね蓮の葉の上で重ねて包んだものを蒸しあげているのだが、微妙な味。別にレシピのせいにするわけではないが、この作り方で美味しくする自信がない。粽のように最初に米を出し汁と具材と一緒に炊いた方が美味いと思った。いずれそのやり方で作ったものを紹介したい。

叉焼

パクっと割れた所が、普通の饅頭と一線を画する。”蝦餃”が”港式点心”の女王なら、これは王者だろう。この”はじけた”感じに香港人のバイタリティを感じるのは私だけだろうか。それはさておき、生地が割れるのは、”臭粉”と呼ばれる強力な膨張剤と”面种”と呼ばれる種で培養した酵母菌の作用の賜物。今回気合を入れて”面种”を二日前から育てていたのだが、あまりうまく行かなかった。一つしか生地が割れず、色も悪い。雪のように純白にならないと美味しそうに見えないのだ。包み方にも問題があったようなので、近いうちに再チャレンジしたい。

⑤蛋挞

エッグタルト。今回初めて作ったが、まあまうまく行った。パイ生地で作るのがマカオ式でクッキー生地で作るのが香港式だそうだが、今回作ったのは香港式。クッキー生地にの方が私の好みなのだ。ふんだんにバターと生クリーム使ってみた。

 

今回は気分をだすために自宅で”洗杯”をやってみた。”洗杯(サイプイ)”というのは、お茶の一煎目は雑味があって不味いので、その湯で箸や湯呑を洗うという香港人の習慣。衛生状態の悪かった昔ならいざ知らず現在ではわざわざ食器を洗う必要性はほぼないのだが、それでも今なお誰もがやっている。これがなくては早茶は始まらない、早朝の香港のここかしこの茶楼で見られるお馴染みの”儀式”なのである。

人それぞれ好みの流儀があるのだが、私はこんな風に垂直に立てた箸に湯を注ぎかけた後、ボールの中で箸を軸にして波しぶきが立つほど湯呑を回転させるのを常としている。
この”儀式”を取り行ったあと、職人が腕によりをかけた点心でお茶をゆっくりと楽しむ、そのゆとりが何とも羨ましい。しかも、それが金持ちだけの特権ではない。冒頭に挙げた”蓮香楼”に集うのは工場労働者風の男性や年金受給者の老人たちだ。富める者も貧しき者も共に楽しもうという姿勢がいい。これこそ本当の”豊かさ”だとつくづく思う。

 

 

狮子头

要するに大きな肉団子。女性の拳大程に作る。

肉を細かく砕いて丸めるというのは、割と普通に考え付くアイデアなのだろう、相当古い時代から作られていたらしく、北魏時代に著された「斉民要術」には既に製法が記されてある。

一方、名称だが今のものに落ち着くまで様々な変遷があったとか。隋の時代、煬帝こと楊広が京杭大運河完成後江南地方に行幸したのは史上名高いが、訪れた揚州でこの料理が供された際、土地の景勝地にちなんで”葵花斬肉”と名付けられたという。

獅子頭”の名称が現れるのは、唐は玄宗の時代。郇国公韦陟が、ある宴席で来客から自身の武勲を讃えられてすっかり上機嫌になり、それなら”獅子のように雄々しく”という意味を込めてこの名に改めたという逸話が伝えられる。

ただ、上記二つのエピソードは稗史野史の類で信憑性は乏しいらしい。恐らくは、その形状から誰かが"葵の花"や"獅子の頭"に見立てたのに後から尾ひれがつき、そうした挿話が出来上がったのだろう。ただ、肉団子などという無粋な呼び方をせず、雅語を用いて風情ある名前を考えるところは、いかにも中国人らしい嗜みを窺わせて興味深い。

現代史においてもこれまつわるエピソードがあり、私が必ず思い出すのはかの周恩来首相がこれを得意料理にしていたというもの。外国から賓客が訪れた際は周氏自ら腕を振るってもてなしていたのは有名な話。(キッシンジャーは食べたのか?)

中国の場合、料理といえどもこんな風に様々な来歴逸話があって興味が尽きない。

個人的な体験で恐縮だが、以前ある中国人と話をしていた時、この料理が話題に上ったことがある。私が中国料理を作っていると知った相手が、「じゃあどんなものを作るのか?」と尋ねて来るので、「これなんかよく作る」と答えたところ、向こうは思わず吹き出し「それはただのハンバーグだよ」と言われてしまった。その時は笑われて心外だったが、冷静に考えれば肉を刻んで丸めるだけだから確かに単純な料理である。ただ、この誰にでも作れる、いわば家庭料理と地続きの親しみやすさは、獅子頭に限らず江南料理一般の美点でもあるのだ。また、珍味佳肴を過度に追求せず、ありきたりの材料をシンプルに調理するやり方は、一種の"自己抑制"や"節度"に通ずるものがあるだろう。「広東料理は商人の料理、江南料理は文人の料理」という有名な言葉には、そうした意味も込められていると私は勝手に考えている。

単純な料理と書いたが、それなりに手間はかかる。この料理を作る時、市販のミンチでは駄目で、必ず固まり肉を用意する必要がある。それを半分を米粒状に、もう半分を細かく砕いてよく捏ねる。そうすることで肉のしっかりした味わいと柔らかさを両立させるのだ。噛みしめた後に口の中でとろけるその美味しさたるや、ただの”中華ハンバーグ”と侮るなかれ!

ただ、今回は失敗。店頭にそれしかなくてメキシコ産を使ったのだがそれがいけなかった。メキシコ産はカナダ産やアメリカ産に比べると遙かに美味しいのだが、この料理には向いてなかった。やはり国産に限る。国産の豚肉がとくに優れているとは思わないが、少なくとも冷凍はしていない。解凍ものはどうしても臭みが出たり、繊維が壊れて食感が悪くなる。魚や鶏肉以外も、やはり鮮度が重要なのだ。

あと、いつも”紅焼”、つまり揚げ焼きした後甘辛い醤油煮込みにするのだが、今回は上海ガニとのバランスを考え清湯仕立てにしてみたのだが、それもよくなかった。ちょっとあっさりしすぎで、また見栄えもよくない。もし清湯仕立てにする時は、団子に蟹肉かエビを加えるべきだと思った。